ノーベル平和賞受賞のマララさんの活動に思う、宗教と慣習の功罪【社説批評】

社会政治経済

今日の新聞各社の社説は、石綿(アスベスト)裁判とノーベル平和賞について取り上げていました。このうち、ノーベル平和賞について当ブログでは取り上げます。

今年のノーベル平和賞を受賞したのは、インド人男性のカイラシュ・サティヤルティさん(60)とパキスタン女性のマララ・ユスフザイさん(17)でした。2人は、児童労働の撲滅や女性の教育・人権の保護を主な活動としており、既に大きな成果を上げていることが受賞の理由だと考えられます。また、ノーベル平和賞を授賞することで、このような活動が世界的な注目を集め、世界に問題意識を植え付けることも理由の1つかもしれません。

各社とも、今回のノーベル平和賞授賞に関する論調は異なりません。全面的支持。児童労働は悪だから、撲滅すべき。女性への教育が不当に制限されていることへの懸念。こういう感じです。

私も当然ですが、賛成です。

しかし、賛成しない人々も確かにいます。


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今回のノーベル平和賞受賞を快く思わない人達って?

我々日本人が、今回のノーベル平和賞授賞に無条件で賛成・共感できるのは、近代以降の民主主義的な価値観を持っているからです。

法の下の平等、人権が大事、性差による差別はいけない・・・、などの価値観。

私たちは、このような価値観が世界中で通用すると思っていますが、そうではありません。

たとえば、イスラム教過激派の人間は、女性の教育はおろか外出までも制限することが「善」と考えています。

イスラム教過激派の考え方は極端なものですが、主に発展途上国では、我々から見れば「女性蔑視」とみなすような文化・慣習が根強く残っています。

マララさんの活動は、このような宗教的・文化慣習的な束縛から女性を解放するための活動ともいえます。

それは、宗教や慣習との戦いとも言えるのではないでしょうか。

私たちの価値観からみれば、女性の教育を不当に制限することは絶対的に「悪」ですが、宗教の教えや文化・慣習を守ることに価値を置く人達からしてみれば、慣習の破壊こそが絶対的な「悪」だと考えるでしょう。

このような人達からしてみれば、今回の欧米によるノーベル平和賞授賞は、「価値観の押し付け」と感じるのではないでしょうか。

両者ともに「自分たちが絶対的に正しい」と考えている場合、どんな些細な争いでも、なかなか解決しないのが世の常です。

どちらかが一方を押さえつけるまでその争いは続いてしまいます。

マララさんたちの活動が、今後順風満帆に拡大していくことが期待されていますが、そう簡単にはいかないのではないでしょうか。

 

宗教や慣習の存在理由を考える

話が少し飛びますが、宗教や慣習は何のために存在しているか?を考えると、

「人々が幸せになるのために存在している」

という結論になってもいいのかなと思います。

宗教の教えや慣習を守ることで、幸せになれるから、人々はそれを守っているのだと私は考えます。すこしシンプルすぎるかもしれませんが。

私たちの価値観からすれば、

宗教・慣習に従って、女性の教育などの権利を奪うことが、果たして「幸せ」に繋がっているのかな?

という疑問が生じます。

ここで、また価値観の相違が出て来ます。

「幸せ」とは何か?という定義についての価値観です。

私たち民主主義国家の国民の価値観からすれば、幸せの定義は人それぞれ違うものの、その前提には「自由であること」が土台として存在することを否定する人はいないのではないでしょうか。

何者かに権利や行動を束縛された状態は、とてもじゃないけれど「幸せ」とは言えない。これが私たちの価値観。

一方、イスラム教過激派をはじめとする宗教や慣習の原理原則に重きを置く人達にとっては、

「宗教の教えや慣習を守ることこそが『幸せ』である」

となるのでしょう。

ここで気付くのが、いわゆる「手段の目的化」です。

本来は幸せになる「手段」として宗教や慣習があるのにも関わらず、宗教・慣習を守る事自体が「目的」になってしまっています。

彼らはこの矛盾に気付いていながら、人々を束縛する「教え」から脱却することが出来ません。

彼らにとっては宗教や慣習が「当たり前」になっているからです。

「俺たちはずーっと古くから伝わる『教え』に従って生きてきたけど、これって本当にこのままでいいの?」

という客観的な視点を持つことが出来ないのです。

そして、この客観的な視点を持つために必要不可欠なものが「教育」です。


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子どもたちへの教育が「判断材料」を与える

古い慣習が根強いパキスタンで、マララさんがどうしてこのような活動を起こしたのかといえば、学校の校長である父の影響が大きいと言われています。マララさんの父親は、教育の必要性を説いて女子校を運営しています。マララさんの活動の出発点は、父親による教育だったのです。

学校での教育は、子どもたちに知識や知見を与えると同時に、世界には色々な考え方・価値観があることを教えます。

多様な価値観や考え方があることを知った子どもたちは、自分たちの国・地域の価値観を初めて客観的に捉えることができるようになります。

そこで初めて、

「俺たちって、このままでいいの?」

という問題意識が生まれるのだと思うのです。

宗教の過激派組織が学校を破壊するという暴挙に出る理由には、子どもたちに問題意識を持たせない、という目的があると思います。

 

このように考えると、児童労働が当たり前になっていたり、女性の権利が侵害されたりしている国・地域に、学校教育を普及・拡大させることがとても重要であることが分かります。

なんだかとてもありきたりな結論になってしまいましたが、私が言わんとすることが伝われば幸いです。

本日の社説批評はこれにて終了。


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