【社説批評】ノーベル物理学賞受賞の土台となった地道な研究って?

社会政治経済

今日の社説は各社とも、昨日の日本人がノーベル物理学賞を受賞したことについて取り上げています。

社説比較こちらこちらからどうぞ(別タブで開きます)。

ニュースでも度々報道されているように、赤崎氏・中村氏・天野氏がノーベル物理学賞を受賞したのは、青色発光ダイオードの発明によるものです。

青色LEDが発明されたことで、LEDに色の三原色(赤・青・黄色)が揃い、様々な分野にLEDが使えるようになりました。白熱電球の替わりにLED電球が、液晶にもLEDが、・・・という風に、一気に普及していきました。

今回のノーベル物理学賞受賞も、LEDを普及させるキッカケとなった青色LEDの発明を高く評価したためだと考えられます。


スポンサード・リンク

さて、今朝の新聞各社の社説ですが、日本人のノーベル物理学賞受賞という大ニュースを当然取り上げています。

各社の社説をざっと眺めると、記事の前半では青色LEDとは?受賞の理由は?などが書かれていますが、後半で日本の研究に対する批判をしています。

3人に共通するのは、愚直なまでに一つの道を追求し続けたことである。 その粘り強さをたたえる一方で、今の日本でもこうした地道な研究が実を結ぶだろうかと心配せずにいられない。 目先の成果を追い求める風潮が強まる一方で、企業研究者の貢献が軽視される傾向が、あちこちで見られるからだ。(朝日新聞)

気がかりなのは、日本の研究現場で、人材不足や競争力の低下が深刻化していることだ。成果が出るまでに手間や時間がかかる技術開発分野に、若手の研究者が集まらなくなっている。(読売新聞)

最近の日本の科学技術政策は短期間に応用につなげる「出口志向」が目立つが、青色LEDは赤崎さんが開発に着手してから製品化されるまでに10年以上かかった。それを思えば、近視眼的な成果主義ではなく、成果に結びつくかどうかわからない研究の芽を育て、支えていく仕組み作りの重要性を忘れてはならない。(毎日新聞)

一方で心配なこともある。足元では主要学術誌に載った論文数や特許などで、日本の研究力は地盤沈下している。博士号を取った研究者の雇用が不安定で、海外で武者修行する若手も減っている。(日経新聞)

しかし現在の研究環境で、数十年後の栄誉につながるような独創が育つか疑問もある。 政府の科学技術政策は、短期的な成果や経済への波及効果が重視される傾向が強まっている。 今回の3人の快挙を契機に、独創を育む研究環境づくりについても改めて考えたい。(産経新聞)

これは、いまの日本の学問、大学の窮状をある種嘆いたもののようにも聞こえた。文部科学省や研究機関は、世界の大学ランキングとか論文発表数を競っている。競うのはもちろんいい。しかし、学者の中には、競うだけ、お金になるだけでなく、基礎的な研究こそが本当の学問でないかという声が出始めている。 それは、目に見える成果ばかりを求めて、学問の王道を忘れてはいませんか、ということだ。(東京新聞)

という様に、各社とも、現状の研究現場に対して疑問を呈しています。

各社の言い方は異なりますが、分かりやすく言えば、

  • 近視眼的な研究になっていない?
  • お金のために研究してない?
  • 成果が見込める研究ばっかりやってない?
  • 国は、そのような研究にばかり援助してない?

という感じです。

今回の青色LEDの発明も、内容自体は生活に身近なものですが、窒化ガリウムという物質に関する基礎研究が実を結んだものです。

ノーベル賞は、その発明や発見から短くとも10年以上は経たないと、受賞出来ません。

つまり、今ノーベル賞を受賞した研究というのは、結構前に行われた発見・発明であって、ノーベル賞を今年受賞したという事実は、「今現在の」日本の研究水準の高さを示すものではない、ということです。

新聞各社は、今行われている研究・開発が、将来ノーベル賞を受賞できるような独創性に富んでいるものなのか?と疑問を呈しています。

成果が見込める研究・お金になる研究ばかりに人材と資金が集中していませんか?と言っています。

社説という紙面が限られている記事だからか、日本の現状の研究現場が実際にそのような状況なのか?という具体的なデータも、そうなってしまった原因についての考察もありません。

が、主要新聞が揃って「基礎研究が衰退している」と言っているのですから、そうなのでしょう。

では、なぜ日本の基礎研究は衰退しているのでしょうか。


スポンサード・リンク

なぜ基礎研究が衰退しているのか?

研究の現場は、大きく分けて2つあります。企業大学です。

企業の目的は、どんな企業であれ、「営利の追求」です。

利益を出すために企業は存在しています。

そのため、企業が行う研究開発は、ある程度成果が見込める対象に自然と絞られます。

基礎研究を行う企業もありますが、体力の十分にある大企業がほとんどです。

今は体力があっても、業績悪化にともない、基礎研究を取りやめる可能性があるのが企業の基礎研究です。

ですから、基礎研究の場としては、 大学や大学院が最もふさわしいと考えられます。

では、大学での研究の実際はどうなのでしょうか?

研究者も生活しなければならない

日経新聞の社説の中には、「博士号取得者の雇用が不安定で・・・」とありますが、

大学に残って研究を続けた者に対する社会からの処遇はかなり厳しい物があります。

理系大学に進んだ学生のうち、博士課程まで進む人はほんの一握りです。

そして、博士号を取ってからも大学に残って研究を続けられる人の数はさらに限られます。

他の大多数の学生は、企業へ就職します。
みな、興味を持って大学に進んで勉強をしてきたわけですが、なぜ研究を続けないのでしょうか。

その答えは単純で、「生活しなくてはならないから」です。

 

日本の大学生は、最短で22歳で企業へ就職します。

一方、研究を一生やろう!という志を持った理系大学生は、大学院に進みます。

その後の転機は、2年後の24歳。博士課程に進むかどうか?の決断です。学生ですから、収入はアルバイトの給料のみ。このとき、友達の文系大学生は社会人3年目。給料を得て、貯金も作り、もしかしたら結婚をしているかもしれません。

研究を続けよう!と決意し、博士課程に進み、研究をまた3年間続けます。この時27、8歳。収入はアルバイトの給料のみ。このとき、文系の友達は社会人6年目。会社での役職を得て、給料も上がり、もしかしたら多少無理をしてマイホームを購入しているかもしれません。

博士号を取った理系大学生は、大学に残って研究をするか、企業へ就職するか?を考えます。その際に、すでに社会人になった同級生の現状と自分を比較するでしょう。ポスドクとして大学に残っても、貰える給料はほんのわずか。企業に進んだ方が経済的には得。
所有する博士号が初任給に反映される額はほんのわずか。同年齢の文系大学生と比べるのも悲しくなる。。。

・・・というのが、

博士課程に進んだ理系学生の実態に、そう遠くないのではないでしょうか。

 

この手の話は、先輩の研究者から嫌というほど聞くはずです。

それでもなお、研究がやりたいから、大学に残る!

という学生の人数は自然と限られるのではないでしょうか。

 

基礎研究の強化とは、大学での基礎研究の強化を意味し、

大学での基礎研究の強化のためには、理系学生と博士号取得者の待遇改善が必要不可欠です。

 

大学に残って研究をする博士号取得者に対しては、同年齢のサラリーマンと同程度の給料を保証する、などいう施策が必要だと思います。

公務員の給料は、なぜか民間企業、それも大手企業の給与の平均額を基礎にして決定されます(公務員の給料は高すぎですが。)

それと同じようなことを、大学での研究者にもすれば良いと思います。

研究を続けても、経済的に困らない!

という安心を得られれば、研究に集中できるのでは?と考えます。

 

日本の国力の根幹は、言うまでもなく科学技術の高さにあります。

政府には、研究者の実態を調べあげ、研究をしやすく続けやすい環境を整えて欲しいものです。


スポンサード・リンク

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

0 comments