『ヘイトスピーチ「愛国者」たちの憎悪と暴力』(安田浩一)の書評と感想

書評01

安田浩一氏の『ヘイトスピーチ-「愛国者」たちの憎悪と暴力-』を読み終えたので、僭越ながら書評という形で記事にしてみたいと思います。

記事の最後の方では、私が思うことも書いてみました。

まず、この本をまだ読んでいない方向けに、同書の概要から見ていくことにします。

『ヘイトスピーチ「愛国者」たちの憎悪と暴力』を読んでない方へ

あなたの思想がバリバリの右翼であろうと左翼であろうと、全く政治的信条は無いよ!という場合でも、この本は読んでおいた方がいいです。

なぜなら、ヘイトスピーチに対する認識が変わるはずだから。


スポンサード・リンク




ヘイトスピーチの実態は想像以上に酷い

私を含め、新大久保などで行われているヘイトスピーチを実際に目撃していない場合、

ヘイトスピーチの実態について、正確に把握することは難しいのではないでしょうか。

例えば私の場合、

「ヘイトスピーチってテレビとかで問題視されてるけど、

『韓国・北朝鮮は反日教育をやめろ!』

とか

『竹島を不法占拠するな!竹島を返せ!』

とかでしょ?それくらい言ってもいいんじゃない?」

という認識でした。しかし、ヘイトスピーチの実態はそんな生易しいものではありません。

ここで、ヘイトスピーチ参加者が撮影した動画をご紹介します。

 

動画をご覧頂ければ分かりますが、

「韓国は反日教育を止めろ!」とか、そういうお行儀の良いデモではありません。

あまりにも過激な表現なので、記載することは控えますが、より直接的で辛辣な攻撃と言えます。

それも、在日朝鮮人の方々が身の危険を感じるようなレベルの発言です。

 

これが、ヘイトスピーチの実態です。

著者の安田浩一氏は、このようなヘイトスピーチの実態について、数多くの実例を紹介して、その酷さを訴えかけています。

そして、ヘイトスピーチについて、以下のように述べています。

ヘイトスピーチは単なる罵声とは違う。もちろん言論の一形態でもない。(略)

憎悪と悪意を持って差別と排除を扇動し、人間を徹底的に傷つけるものである。

言論ではなく、迫害である。

言葉の暴力ー ではない。これは「暴力」そのものだ、と。人間の心にナイフを突き立てて、深く抉るようなものだ。

動画の罵声や発言を見れば、安田氏がヘイトスピーチについてこのような表現をするのも頷けるはずです。

ヘイトスピーチを受ける側の心情を想像しろ

安田氏が本書を通じて一貫して主張していること、それは

ヘイトスピーチの被害者である在日朝鮮人は、どうすることも出来ない「痛み」を受け、苦しんでいる

ということ。

これは、考えてみれば当たり前で、

毎日、自分の家の前で

「○○をぶっ殺せ!」

「○○を抹殺しろ!」

と叫ばれたら、どうでしょうか。

めちゃくちゃ怖いですし、傷つくはずです。

ヘイトスピーチは、このような恫喝と同じ。もっと大規模ですが。

安田氏は、

ヘイトスピーチの被害者の心情を想像しろ

こう主張しているわけです。

 

『ヘイトスピーチ「愛国者」たちの憎悪と暴力』では、ヘイトスピーチの目に余る実態について詳細に紹介しながら

  • ヘイトスピーチの主体である在特会が拡大した経緯
  • 在特会への支持がネット上で広まる理由
  • 日本が排外主義に向かって行くことへの警鐘

について分かりやすく記載されています。

「ヘイトスピーチって良くないんだよねー。知ってるよ。」

という程度に思っている方には、是非読んでもらいたいものです。


スポンサード・リンク




この本の内容に違和感を感じるなら、結構危険かも・・・!?

次に、『ヘイトスピーチ「愛国者」たちの憎悪と暴力』を読んだ方に向けて。

本書を読了した時点での私の感想は、

「全く同感。というか、一般的な日本人ならみんな賛同するはず。」

というものでした。

この本で安田氏が首尾一貫して主張していることは、

  • ヘイトスピーチは差別であり、迫害である。
  • 「合理的な理由を持つ」差別や迫害など、存在しない。
  • つまり、差別=絶対悪。

ということ。

この主張に対して、論理的に反論するのは難しいのでは?と思います。

事実、私の場合、本書を読んでいる最中にも読了後にも、

それは違うんじゃないの?

というポイントを見つけることはほぼ出来ませんでした。

なぜなら、

著者の安田氏の主張は、現代の倫理・価値観に照らして至極真っ当

だからです。

 

そして、

ヘイトスピーチを行う人々の主張は、論理的ではなく破綻している

ことも気付きます。

ヘイトスピーチを行う根拠の1つとして、

在日朝鮮人は、特権を享受している!不当だ!

というものがあります。いわゆる「在日特権」というやつです。

ここで、この在日特権について整理しておきたいと思います。

在日特権は存在する!?

本書では、いわゆる「在日特権」について、在特会が作成した広報ビラを引用する形で、次のように整理しています。

  • 特別永住資格
  • 朝鮮学校補助金交付
  • 生活保護優遇
  • 通名制度

の4つです。

安田氏は、生活保護優遇などはネット上のデマであるとし、これらの権利は

特別な者に与えられた優越的な権利=「特権」などではない

と主張しています。

いずれも、補助的・救済的な権利に留まっている、と。

確かに、客観的に見ても「特権」と呼べるようなものではないと思えます(反日教育が行われているであろう朝鮮学校に対する補助金交付には反対ですが)。

このように、在日朝鮮人の方々が持つ救済的・補助的な権利は「特権」と呼べるようなものではない、とすると

在特会がヘイトスピーチをする根拠が乏しくなります。

では、在特会に参加する日本人がヘイトスピーチを行う理由とは何なのでしょうか。

ヘイトスピーチの背景には閉塞感と被害者意識がある

安田氏は、ヘイトスピーチを行う人間に共通する「意識」を指摘しています。

それは、歪んだ被害者意識です。

自分たち日本人の生活は苦しいのに、在日朝鮮人は在日特権を甘受している!不当だ!

という被害者意識です。

そして、彼らは

  • 在日は税金が免除されている。
  • 在日は水光熱費が免除されている。
  • 在日は特権にあぐらをかき、犯罪ばかりを犯している。
  • 凶悪犯罪のほとんどは在日によるものだ。
  • パチンコ屋が持っている土地は、日本人を追い出して不法に入手したものである。
  • 生活保護受給者の8割は在日だ。

などという、完全なるデマを信じこんでいる、と安田氏は指摘します。

このような、「在日特権」に対する誤った認識は、

特権を不当に享受している在日朝鮮人を糾弾する

という捻じ曲がった「階級闘争」に繋がり、それがヘイトスピーチの根源になっている、と。

その上で、ドイツ系米国人哲学者エリック・ホッファーの著書の次のような文章を引用しています。

憎悪は、空虚な人生に意味と目的とを与えることが出来る。

つまり、安田氏は、

ヘイトスピーチには論理的な根拠などなく、その動機は「当事者の持つ閉塞感・被害者意識」だ

と主張しているわけです。

もっと分かりやすく言えば、

自分はなぜ、こんな冴えない人生・生活をしているんだろう。イライラ。。。

自分はこんなに苦しんでいるのに、在日は在日特権を享受している!ずるい!

在日朝鮮人を糾弾しよう!

あぁ、スッキリする!

という流れです。

確かに、ヘイトスピーチに論理的な根拠など無いのであれば、その動機の1つとして閉塞感・被害者意識があるのは頷けます。

 

・・・と、ここまで、

ヘイトスピーチの根拠

という言葉を使ってきましたが、著者安田氏が本書で全体として主張していることについてもう一度再確認しておきます。

それは、

合理的な理由・根拠のある差別など存在しない

ということです。

どのような差別も許されない

安田氏が本書で首尾一貫して主張していること、それは

どんな差別も許されるものではない

ということ。

これについて、反対する現代日本人はいないのではないでしょうか。

確かに、人間の本能として

他者を差別して、自分を優位に立たせる

というものがある、ということは否定できないと思います。

しかし、その本能を理性で抑えつけず、本能のままに他者を差別するのは、

マジで?それで現代人としてそれでいいの??

と私は思います。

差別は、ささいなものでも、悪質で重大なものでも、

どんな差別も許されない

ということです。

 

差別は、マイノリティに対する迫害に繋がり、最悪の場合、大量殺戮(ジェノサイド)に繋がるからです。

大げさではなく、人類の歴史ではこのような大量殺戮が繰り返されていることは歴然とした事実です。

ホロコースト、カンボジアの大量殺戮、ルワンダの大量殺戮・・・

などです。

重要な事は、

人々の間に広がり心の底に澱のように溜まった差別意識が、一部の過激な扇動者によって煽られ、拡大し、大規模な迫害につながっていく危険性がある

ということ。

だから、

どのようなささいな差別も許されない

のです。

差別は楽。議論はしんどい。でも、議論をすべき。

このように、差別は絶対にダメ!と整理しても、

そうは言っても、韓国・北朝鮮が気に食わないですけど・・・

と思う日本人は数多くいると思います。

私もその一人。

韓国・北朝鮮の反日活動や、歴史認識、領土問題・・・

などなど、気に食わないコトばかりです。

しかし、だからといって

朝鮮人は出ていけ!

差別してはイケないのです。

 

何かを

黒だ! 白だ!

と断定して、思考停止状態に落ち着くのは簡単です。ヘイトスピーチを行う人間はこの思考停止状態に甘んじているわけです。

そのほうが、楽だし、落ち着くから。

一方、物事を論理的、理性的に考えると、

物事は途端に「グレー」になる。

そして、その方が悩ましく、楽ではない。しんどい。

しかし、このような理性的・論理的な思考が建設的な議論の素地になっていくのです。

 

例えば、在特会は、

日韓国交断絶を!

と訴えていますが、これは「『黒』か『白』かの思考停止状態」の最たる例です。

日韓の国交を断絶せよ!などと言うことは、

非現実的過ぎて、何も言っていないに等しい

主張です。

そうではなく、

「韓国よ。あなたについては気に食わない点がたくさんあるから、議論しよう」

というのが、建設的な姿勢。

お互い、気に食わないことがあるなら、議論すれば良い。

そもそも相手が議論の場に現れないのであれば、粘り強く呼びかける。

 

国交断絶!と主張するのは簡単だし、楽です。

しかし、このような主張は何も生み出さず、価値のない主張であることは明らかです。

しんどくても、議論をすべき

こう私は考えます。

 

嫌韓を差別に繋げてはならない

最近では、いわゆる「嫌韓」関連の書籍が飛ぶように売れているようです。

これが意味することは、

韓国嫌い!と思っている日本人が数多くいる

ということ。

これは事実です。

たしかに、イ・ミョンバク前大統領が竹島に上陸したり、天皇陛下に謝罪を要求したり、朴槿恵大統領が「1000年経っても被害者と加害者の立場は変わらない」と発言したり、

韓国、いい加減にしろ

と思うことは多々有ります。

このような背景もあり、「嫌韓」が日本人に広がっているのだと考えられます。

 

私は、

隣国同士、仲良しこよしである必要はない

と考えています。

しかし、差別はイケないのです。

例えば、学校の隣の席のヤツがどうしても好きになれない。

そういうことって、誰しも経験があるはず。

しかし、だからと言って

よっしゃ、いじめたろ。

とはならないはずです。

 

別に、好きじゃないし仲良くもないけど、話す事はできるし議論も出来る

そういう関係でいいのでは?

と私は考えます。

 

問題は、

「嫌韓」の風潮が、いつのまにか「差別意識」に変化し、大規模な迫害に繋がっていく危険性がある

ということ。

安田氏の『ヘイトスピーチ「愛国者」たちの憎悪と暴力』

「差別は絶対悪であること」を再認識させ、

日本に澱のように溜まっていく朝鮮人に対する差別意識を指摘している

点で、価値のある本だと考えます。

 

差別は楽だし、簡単。議論はしんどい。

でも、議論をしよう。

このことは、人間同士、国同士に関わらず、重要な真理だと思います。

あなたはどう思われますか?


スポンサード・リンク




この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

  • 1
  • 0
  • 0

0 comments